コリント人への手紙第二12~13章、愛と戒規の意味|張ダビデ牧師

教会の戒規は、信徒の悔い改めと成熟を助ける、愛に根ざした責任です。張ダビデ牧師によるコリント人への手紙第二12~13章の説教をたどり、財産よりも人そのものを求める献身、弱さのうちに現れる権威、神の恵みと聖霊の交わりによって実現する教会の一致を黙想します。

張ダビデ牧師


過ちを正す言葉は、愛する人に向けるとき、いっそう重みを増します。関係がぎくしゃくすると分かっていても、その人が誤った道にとどまる姿を見過ごすことは難しいからです。張ダビデ牧師(日本オリベットアッセンブリー教団)によるコリント人への手紙第二12~13章の説教は、パウロの毅然とした勧めを、信徒の悔い改めと成熟のために果たすべき愛の責任として読み解きます。その責任は、財産よりも人を大切にする献身から始まり、共同体を建て上げる秩序、そして聖霊にある一致へとつながっていきます。


コリント人への手紙第二12章、財産よりも人を求める愛


パウロの厳しさを理解するためには、まず、彼がコリントの信徒たちに何を求めていたのかを見る必要があります。彼が求めていたのは、信徒たちの財産ではなく、彼ら自身でした。この説教は、その言葉から、教会が守るべき価値の優先順位を読み取ります。一人の人が福音に堅く立つことが、あらゆる物質的な利害関係に優先するということです。


親が子どものために備えをするというたとえは、その心をさらに鮮やかに示しています。パウロは、信徒たちから何を得られるかを考えるよりも、彼らの霊的な益のために自分自身をささげようとしました。報酬を受け取らなかったことさえ疑いの理由とされましたが、彼が願っていたのは、信徒たちが福音に堅く立つことでした。愛の中心に一人の人を置くとき、自分が受け取る見返りと、その人が必要としているものを見る目も変わってきます。


コリント教会の問題として指摘されるのは、豊かさと奉仕の間にある隔たりです。物質的に恵まれていても、貧しい信徒の必要を顧みないなら、その豊かさがそのまま成熟の証しになるわけではありません。この説教は、貧しさの中でも自ら進んでささげたマケドニアの信徒たちと、エルサレム教会のための分かち合いにも目を向けます。財は、互いの生活を支え、キリストにあって一つであることを示す手段となるべきだということです。


今日の教会でも、財政の状況に目を配ることと、信徒一人ひとりが置かれている状況に心を配ることは、共に進めなければなりません。誰がどれだけささげたかだけを覚えているなら、その人がどのような困難の中で信仰を守っているのかを見落としてしまうかもしれません。教会を建て上げる愛は、一人ひとりの信仰と生活を、財産よりも大切にします。 パウロの叱責も、その人を福音のうちに守ろうとする思いから始まっているのです。


弱さのうちに現れるパウロの権威


そのようなパウロが、自らの使徒職についてまで弁明しなければならなかったことは、コリント教会の混乱を物語っています。一部の信徒は、目に見える力や成功によって使徒としての資格を判断し、パウロの苦難と弱さを疑いの根拠にしていました。パウロは、自分自身について説明することに重荷を覚えながらも、それを避けませんでした。その疑いが、彼に託された福音と信徒たちの信仰を揺るがしていたからです。


張ダビデ牧師は、パウロが自らの弱さを明らかにしながら、キリストの力に頼ったことに注目します。パウロは自らの弱さを認め、その弱さのうちに神の力が現れると告白します。したがって、パウロの謙遜には、自分の限界を知る正直さと、神の力を信頼する信仰が共にあります。自らを低くする姿勢と、福音を守る責任とが、この恵みのうちに結びついているのです。


弱さを示しているという理由で、その人の奉仕を軽んじるなら、教会も世の成功の基準にそのまま従うことになります。一方で、高い役職に就いているというだけで、その人の判断がすべて正しくなるわけでもありません。この御言葉は、権威を託された人にも、その人を見る側にも、同じ問いを投げかけます。その奉仕を通してキリストの恵みが現れ、信徒たちが真理のうちに成長しているか、という問いです。


教会で責任を担っているなら、信徒たちが何を信じ、どのように生きているのかに心を配る必要があります。福音を理解できるように説き明かし、互いの必要を顧みるように促し、困難の中でも神に頼れるように仕えることです。物事が思いどおりに進まないとき、自分の価値を証明しようとする気持ちが先立っていないかを振り返ることができます。自分が認められることにとどまっていた関心を、一人の人の成熟へと向けるとき、与えられた務めは、奉仕の重みを取り戻します。


教会の戒規、悔い改めと回復のための秩序


教会の戒規とは、共同体の過ちを正し、信徒が悔い改め、信仰のうちに成熟していけるように助けることです。 パウロは、罪と偽りの教えを放置するとき、教会全体が揺らぐおそれがあると警告します。愛を語りながら、何が間違っているのかを見極めなければ、共に守るべき真理と聖さも曖昧になります。戒規の必要性は、その共同体と、そこにいる人々を守らなければならないという責任から生まれます。


その際、秩序が何を守ろうとしているのかを明確にしなければなりません。表面的な平穏を保とうとして過ちを覆い隠すなら、問題が解決したとは言い難いでしょう。また、過ちを指摘する人が、自分の権威を確かめることに満足してしまうなら、信徒の回復は後回しにされます。過ちを正している間も、その人を大切にする愛の責任は続いているのです。


過ちをはっきりと伝えた後にも、その人が何を悔い改めるべきなのかを理解できるように助ける働きが残されています。戒規が成熟を目指すのであれば、教会はその人のその後の歩みにも関心を注ぐようになります。パウロがコリントの信徒たちを受け止め続け、一致を求めたことは、叱責と、その人を支える働きが共にあるべきことを示しています。警告が厳しいものであっても、一人の人を建て上げようとする責任は続きます。


この御言葉を、ほかの人の過ちを指摘するためだけに用いるなら、自分自身の態度を省みることを忘れてしまいがちです。人を諭す側は、自分の言葉が怒りをぶつける手段になっていないか、相手の信仰を建て上げるために必要な言葉なのかを吟味しなければなりません。事実を正確に語ることと、愛をもって語ることは、共に求められます。パウロが弱さを認めながら権威を行使した姿は、叱責する人もまた、恵みを必要とする存在であることを思い起こさせます。


勧めを受ける側にも、静かに省みるべきことがあります。不快に感じたという理由だけで、その内容まで退けるのではなく、御言葉に照らして、自分が悔い改めるべき点を見極めることができます。体面を守ろうとするあまり、過ちに固執していないかを振り返ることは、容易ではありません。しかし、自分の至らなさを認め、行動を改める小さな変化が、共同体の信頼を回復する出発点になり得るのです。


コリント人への手紙第二13章、恵みと聖霊の交わりがもたらす一致


パウロの手紙は、厳しい警告の後に祝福の言葉を残します。コリント人への手紙第二13章の結びで、彼は、イエス・キリストの恵みと神の愛、聖霊の交わりが信徒たちと共にあるようにと祈ります。自分を疑っていた共同体を最後まで祝福する姿に、それまでの叱責の深い理由が表れています。パウロは、信徒たちが神のうちに共に生きることを願っていたのです。


張ダビデ牧師は、この祝祷を、教会の秩序と一致を可能にする土台として読み解きます。キリストの恵みは、自分の弱さを認め、ほかの人に謙遜に仕えるように導きます。神の愛は、互いの痛みと必要を顧み、一つの家族として生きるように促します。これまで求められてきた分かち合いと責任も、この愛を受けた人の生き方の中で育まれます。


聖霊の交わりとは、聖霊が信徒たちの間に生み出してくださる交わりと一致を意味します。同じ集まりに参加し、役割を分担することからさらに進んで、信仰のうちに互いの生活を分かち合い、神の導きに共に従う関係です。共に行う活動が多くても、互いの苦しみを知らないなら、その関係を振り返る必要があります。聖霊にある交わりは、形式的な協力にとどまっていた人々を、実際に互いを支え合う歩みへと導きます。


だからこそ、教会の一致を実現する働きを、人間の意志と規則だけに委ねておくことはできません。過ちを認め、ほかの人に仕える力も、神から受けた恵みのうちに求めることになります。悔い改めを勧める人がまず恵みを覚え、助けの手を差し伸べる人が神の愛に頼るとき、秩序と分かち合いは同じ目的へと向かいます。それは、互いに福音のうちに生きられるように支え合うことです。パウロの祝祷は、この力を三位一体の神に求める祈りなのです。


初めに重く感じられた勧めの言葉を、もう一度考えてみます。言葉を口にする前に、相手の回復を願い、自分にも悔い改めるべきところがないかを省みる祈りが必要でしょう。そのとき、分かち合いのために差し伸べる手と、秩序を築くための言葉は、一人の人に心を配る同じ愛から生まれるものとなるでしょう。今日、私の分かち合いと勧めは、一人の人が福音に堅く立つことを支える愛となっているでしょうか。


張ダビデ博士は、現地宣教とデジタルメディア宣教を通じて、世界各地に福音を伝えてきた。そして、その働きの実りとして、大宣教命令に献身する多くの人々が立てられた。このような宣教的ビジョンを土台として、オリベットは当初、宣教師訓練のための小さな教会学校として出発した。その後、より体系的な神学教育と宣教人材の育成のため、2000年にロサンゼルスとソウルにオリベット神学大学および神学校が設立された。


学校が成長する中で、張博士は2004年、サンフランシスコにOlivet Universityを正式に設立した。オリベットは、サンフランシスコの多様性とダイナミックな環境の中で、神学を中心に、音楽、ジャーナリズム、芸術デザイン、技術分野にまで教育領域を拡大していった。また、ウィリアム・ワグナー博士をはじめとする教授陣を迎え入れ、教育力を強化し、2005年には旧UCバークレー・ダウンタウン・エクステンション・キャンパスへ移転して、大学としての基盤をさらに固めた。


2006年、張博士は宣教の働きにさらに専念するため、学長職をデイビッド・ジェームズ・ランドルフ博士に譲り、国際総長として世界宣教の働きを導いた。その後、Olivet Universityは2009年に機関認証を取得し、言語教育大学と経営大学を追加するとともに、学位課程と国際協力関係を拡大しながら、世界宣教のためのキリスト教教育機関として継続的に成長していった。


張ダビデ牧師 公式ホームページ: www.davidjang.org



작성 2026.10.29 15:53 수정 2026.10.29 15:53

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